2018年1月3日水曜日

正月の過ごし方

ちょっとずつでも続けよう。なんてブログを始めて、早速更新が止まってしまった。

自分に関する、ちょっと重い内容を書き始めたのだけど、止まってしまった。
そういう気分じゃないみたい。

なので、正月のことをちょっとばかし。

【箱根駅伝】
母校が箱根駅伝で総合優勝を果たした。四連覇だ。
学生生活は楽しかったものの、卒業後は色々な後ろめたさがあり
母校にはほとんど行っていないけど、活躍は本当に嬉しい。
毎年駅伝の時は、同窓生たちの書き込みでFaceBookやTwitterが賑わう。
普段は全く投稿していない人が書き込みをしていて
「○○さん、まだTwitter使っていたんだ」なんて気付く事もある。
Instagramで何気なくフォローしていた人が駅伝の事を書いていてOGだと知る。
現地に応援に行っている人、テレビで応援してる人、それぞれだけど
母校の健闘を祈っている事は一緒で、なんだかそれが嬉しい。
学生たちの直向きな頑張りは、社会の荒波で荒みがちな卒業生たちの糧になっている。
毎年感動をありがとう。

【いつもと違う正月】
正月だからといってやる事も無く、
夫も仕事なので気分転換に近くのショッピングモールに行ってみた。
私は父がシフト制で三が日に正月行事を家族でする習慣が無かったため、
(父がたまたま休みでも、家でおせちを一緒に食べるくらい)
大学生の頃から正月は率先してバイトをしていた。
7年前に会社員になってからも、サービス業なので休みは基本平日だ。
夫も同業で、更に実家は商店で正月は繁忙期なので同じ感覚だった。
世間がお休みと賑わっている時期に働く。それが私たちのスタイルだった。
今年、自宅療養中の私はとにかく時間と体力を持て余しており、
「正月の町の賑わいってどんなだろう?」という好奇心があり、行ってみた。
…が、行って5分で後悔した。
私が行く場所では無かった。
混みあう駐車場。人が前を塞いで思うように進めない通路。長蛇の列のフードコート。
商品棚の間を走り回る子供達。追い掛けるおじいちゃんおばあちゃん。
声高らかにセールを呼びかける店員さん。
私にとってストレスの要素しかないとはっきりと感じた。
何よりストレスなのは、そこにいる人たちはみんな楽しそうにしているという事だった。
目の前の光景も、その場にいる人たちも、私にはキラキラしすぎていた。
眩しすぎる光景に私は早々に眩暈を感じて、足早に立ち去った。
ああ、私は人ごみが苦手なんだった。
きっとここにいる人たちも人ごみが好きな訳ではないのだけど、
仕事とか学校とかで、今日しか買い物ができないといった事情もあるんだろうな。
それを受け入れて、楽しんでいる事が私には驚きで、尊敬に値する状況だった。
自分にも子供が出来て、学校などに行くようになったら、同じようになるのかな。
いやでもきっと出来ないから、買い物はなるべく通販で、とか
正月は外に出かけなくても室内で楽しめる方法を、とか何かいい方法を考えておこう。

などと考えながら私が帰ろうと車に乗ると、私が出るスペースを狙う車が斜め前にいた。
はいはい、楽しめない私はすぐに出るからちょっと待ってね。そう思って出た。

【New Years Dayに関する挨拶】
スカイプで英会話レッスンを受けているのだが、新年最初のレッスンの挨拶は
「ハッピーニューイヤー!大みそかや元旦は何をして過ごしたの?」だった。
私はレッスン前に自分で作成していた文章を基に
「今年の元旦は私にとって普通の日だったよ。家にいてテレビを見てた。」
というと、画面の向こうで「なぜ?新年は祝うものでしょ?」的な表情がうかがえた。
私はなんだか申し訳ない気持ちになり、
「昨年までは、同僚と集まって新年をお祝いしていたよ!
今年引っ越しをして彼らとは離れてしまったから、シンプルな正月は久しぶり!」などと
過去の話を持ち出して、楽しそうな表情で語った。
すると向こうも嬉しそうに「それは素敵ね!」などと笑顔で返してくれ、レッスンが幕を明ける。
新年早々、事実をつたえただけでなぜ気まずい思いをするのだろう?という不服さと
一方で、事実がどうであっても、ポジティブに伝えるコミュニケーション能力が
グローバルな人間関係を築くためには必要なんだろうな、と気付かされた。
社交的になるって、簡単ではないな。


明日から休み明けが多いようで、通ってるジムも営業開始。
私もちょっとずつ、平常営業に戻していこう。

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