2018年4月12日木曜日

毒親とはちょっと違うんだけど

今日は8ヶ月通った病院の最後の診察だった。
職場復帰をしてからも月1ペースで通い続けていたが、心穏やかに過ごせるようになってきたし、もともと薬を処方されていなかったので前回の診察の時に「問題なければ次回で終わりで」と医師から提案されており、予定通り終了となった。

最後の診察で、私がアドバイスを求めたのは両親の事だった。
母とは半年以上会っていないがラインでのやり取りがあり、その中で最近傷付く発言があり、それ以来母親のアカウントをブロックしていたのだった。
嫌だからってブロックなんて子供っぽいし、既読スルーとか未読スルーすれば済むのに、と自分で思いながらも、親にとって私は子供だし(屁理屈だけど)実際ブロックしてから気持ちがモヤモヤする事がなくなった。スルーとブロックは全然違う。急用があるなら電話してくればいい。

とはいえ、ブロックしてそれで縁を切って終了!とはなれなかった。親子だからだ。
私の両親は、私が思い出しても他人から見ても私にたっぷりの愛情を注いでくれた。父は昼夜関係なく働き、進学や引っ越しや結婚といった大金が必要な時は惜しみなく援助してくれたし、専業主婦の母はとにかく私のことを最優先して沢山の時間や労力を注いでくれた。おかげで私は何不自由なく、我慢や飢えを知らずに大人になった。
それでも、自分の発達障害や鬱の事を考えるたびに、私は両親への複雑な気持ちを抱えていた。両親は愛情を注いでくれたけれど、私には受け皿が無かった、私が欲しい愛情とは違った、と表現するとしっくりくる。私の為を考えるばかりに意見が押しつけがちになる両親に対して、自分の考えをまとめるのに時間がかかる私はちゃんと反論する事が出来ず、泣いたり喚いたりする事しかできなかった。細かい「ああしてほしかった」という事はたくさんあるけれど、一番は私の話をもっと聞いてほしかった。時間はかかったかもしれないけれど、自分の言葉で話すまで聞いていてほしかった。
親に素直になれなかったモヤモヤを30歳を過ぎて夫が解消してくれている点が沢山あり、夫はそれを悩みながらも本を読んで知識をつけたり努力をしてくれている。妻が私でなければしなくて済んだ負担を沢山かけてしまっている。なのに、遺伝上私を構成する要素である親が理解せず、大した歩み寄りの努力もしていない(ように見える)事が腹立たしかった。
夫が私の両親に病気の事を伝えた時(私は不在)、母は小さい頃から本当に大変な子だったんですとめそめそ泣き、父はこんなに理解のある男性と巡り合えて本当に良かった、本当にありがとう。今後ともどうぞよろしくと言って頭を下げたらしい。が、いやいや。夫に丸投げしてハイ終わりじゃないでしょ!夫の負担は誰のせいだと思っているの?8割は私自身でも残りの2割はあなた達(父母)でしょ?(夫は0割でしょ?)というのが私の感想だった。(そう言って、報告してくれた夫を前にひと暴れした。大迷惑。)

そんなような事を医師に伝えると、いつも通りごもっともな返答をくださった。
・親子だからといって理解してもらえると思わないほうがいい。
・私自身の感情をそのまま伝えると、親は自分の考え方・子育てを否定されたと感じて拒絶される可能性もあるので、伝えずに済むのであれば伝えないままでいるのも一つの解決策。特に私の場合、親とは距離を置いた方がよさそう。
・理解しあう為に、親と共に精神科を受信して親子関係を修復する治療法もあるが、それ自体を理解しない親も多いのでそれを選択するかは考えたほうが良い。
・歩み寄る方法の一つとして、子育てや介護といった同じ目的の為の協力者としてであれば、結果的に理解しあえるかも。
・協力者として近くで過ごす場合も、親として甘える存在というよりは効率よく物事を解決するために自分の苦手な事を助けてもらう存在として考えたほうが良い(ビジネスライクに)。目的が達成されたり、助けが不要に感じたらきれいさっぱり離れればよい。

説明の折に「そもそも理解されていたら今の状態になっていなかったから」とか「親達は受けてきた教育や社会の概念が違うから」とか、ハッキリぶった切ってくれた事もありがたかった。(やはり私ははっきり言ってもらった方が納得できる。)その上で「親御さんもきっと頑張ってこられたと思うから、そこは認めてあげましょう」と第三者から言われたのは初めてで、今までのモヤモヤがすっと消えたようにすっきりした。

なぜって親子関係のモヤモヤって、友人や同僚といった第三者には非常に伝えにくい。そもそも親に対して無条件の信頼を寄せている人にはなかなか理解してもらえないし、私の親の愛情深さを知っている人は「きっと分かり合えるよ」と(きっと私の為を思って)楽観的なコメントで終わらせてしまう。育児放棄や虐待、両親間のトラブルなど話し相手が想像しやすい出来事があった訳でないし、親に感謝している事も沢山あるのでそもそも説明もしにくく私自身が最後まで思いの丈を話せた経験もあまりない。私自身も親と何となく距離をおいてうやむやにしていた。発達障害や鬱の診断が無ければ、うやむやのままいられたと思う。

第三者として、精神科の専門医として医師のアドバイスは的確で、おかげで最後の診察でも私達夫婦はスッキリして気持ちよく終えることが出来た。前からこの医師に信頼を寄せている夫は「(私の親の事を)知っているかのようなコメントですごい」と感動していた。仕舞には「先生のアドバイスの引き出し、まだまだありそうだな~もっと引き出したいな~」と主旨の逸れた発言もしていたが、毎回待合室が大混雑の病院に、好奇心だけで通うのは気が引けるのでご提案通り通院終了とさせて頂いた。
最後にも「何かあったらいつでも来てくださいね」と言ってくれた。

会計を待っている間、8ヶ月前の初診の自分を思い出した。
ずっと下を向いていて症状を伝える為に口を開くと涙が止まらなかった。そもそも病院への予約電話は途中で電話を切ったし(ちなみにそれ以来病院への予約電話は出来ないまま)診察を待つ間に「私なんかが診察受けちゃダメだ」と自虐的になって帰ろうとしたこともあった。夫が外に電話を掛けにいっている間に自分の順番になり、夫が横にいないことにパニックになった事もあった。
それに比べて、今日の私は元気だ。待合室ではクイズアプリに不正解を出す夫に憎まれ口をたたき、会計待ちの間はその後に行く事を決めていたラーメン屋で何を食べるか考えてお腹が鳴るのを必死に堪えていた。
私、元気になったかも。それもこれも先生のおかげです。あと、忙しいのに診察に毎回付き合ってくれた夫も。感謝感謝。

2018年4月4日水曜日

女である自分

10代の頃、私は女子特有のグループ付き合いが苦手で事あるごとに男に生まれ変わりたいと思っていた。
かといって、漫画に登場するボーイッシュな子のように男の子っぽい恰好をしたり、スポーツが得意だったわけでもない。思った事をそのまま言うと次の日から仲間外れにされたり、興味のない誰かの片思いに協力するという口実で貴重な休日に遊びに付き合わされる事が嫌だった。自分の唯一の趣味である好きなゲームや音楽の話を女子のグループ内ですると白けてしまうのも苦痛だった(それは私の話がマニアックだったからなのだけれど)。その時に話し相手になるのは男子だけだったから、ただそれが楽しくて男子になりたいと思っていただけだった。男子には男子の厳しい競争社会がある事は気付いていなかった。

大人に近づくにつれて、(あたりまえだけど)男に生まれ変われない事も女子ならではうま味がある事(女子大生というだけで奢ってもらえる回数がぐっと増えた)も気付き始めて、学生生活も大学になると面倒くさいグループから離脱しても大した痛手は無く、女である自分を否定する事は無くなっていった。そしていつの間にか、女性が主役である結婚式というライフイベントに心奪われ、一日の大半を女性と関わる事に費やすウエディングプランナーの仕事をした。
プランナーの経験を通して更に興味が深まったのは、ライフスタイルによって変化する女性の価値観だった。本能的に競争して能動的に働くことがインプットされている男性以上に、女性の心理や思考は奥深い。まだぼんやりとしているけれど、女性が輝ける社会が私の理想であるし、その為に貢献できる仕事がこれから出来たらいいなと考えている。

女性である事を否定することから始まり受け入れ魅了されてきた私の読書遍歴を振り返ってみたら、やっぱり女性作家が中心だった。

それまで漫画や絵本や子供向け小説ばかり読んでいた私がエッセイを初めて読み漁ったのがさくらももこさんだった。幼少期にちびまる子ちゃんが大好きだった私は、母が録画してくれたまるちゃんを台詞を覚えられるほど繰り返し見た。「どうせ私なんて」という卑屈な精神や何かの近道を探ろうとする怠け癖や、それでも家族や友達を見捨てることはしない優しさや、いろんな口癖をまるちゃんから影響された。
さくらももこさんの実体験に基づいたまるちゃんのストーリーのより踏み込んだ内容が書いてあるエッセイを読みふけって、文字だけでこんなに感情が揺さぶられるんだと感動した事を覚えている。

大学生の頃は、とにかく色んな世界観を知りたくて本屋に山積みにされている本を文庫を中心に読んでいった。東野圭吾さんや伊坂幸太郎さんの作品が大好きで、特に伊坂さんの独特の思想には思春期の不安定な心境が何度も救われた。
そのころにデビューした湊かなえさんは処女作の「告白」から新刊が出る度に必ず買うほど大好きだし、小川糸さん、有川浩さんの本も今も新しい作品を見掛けるとつい手に取ってしまう。

大学を卒業して、林真理子さんの小説を読んで現実社会によくある問題の切り取り方がすごく面白くて作者にも強烈に興味を持った。林真理子さんの出身地である山梨県に住んでいた親近感もあり、エッセイを何冊か読んだ。自分がブスで不器用なことを嘆いても仕方ない。それでも欲しい物を手に入れる為に努力するのよ!という姿勢がまぶしくて、励まされて、なにくそ精神のエネルギーを沢山もらった。
最近出された本でも、今はSNSで誰でも好きなように意見が出来るけど、ほとんどの人が匿名ですぐに逃げられる。けれど私達作家は実名で顔も出したうえで意見をしているの。だから何か言うとすぐにネットで叩く人や炎上させる人がいるけど、こっちは死ぬ気で言ってるのよ!言うからには根拠がちゃんとあるのよ!というような事を冒頭で言っていて、本屋で立ち読みをしながら身震いがした。その日は荷物が多くて買い逃してしまったけれど、タイトルも控えなかったので見つけられず買っておけばよかったと猛烈に後悔している。やっぱり本も一期一会なんだよなぁ。私にとって林真理子さんは女性が女性として生きるための活力をくれる人だ。姿や名前を見掛けるたびに、心の中で「真理子さんがおっしゃってる!」と最上級の敬意を示している。

ちなみに社会人になってから自己啓発本やビジネス本を意識して読むようにしたけれど、ビジネス本でも特に会社での自分の在り方や仕事の仕方の本になると、著者が女性の方が断然共感できた。このあたりで改めて、男と女は根本的に違うんだと認識するようになった。

最近出会って大好きなのは益田ミリさん。初体験は旅行エッセイだったけど、それからコミックエッセイも見掛けるとすぐに手に取って読んでいる。作家という能動的な仕事をしているのに文章からうかがえる著者自身や登場人物は基本的に内向的で、それが私にとってとても共感出来て読みやすかった。
人からの目線とか気にしちゃうけど、結局は自分が楽しいとか嬉しいとか居心地いいとか、そういうことが大事なんだよな、とミリさんの本を読んで感じた。無理しないで生きる事が大事。でも、無理しない事は何も始めない事や挑戦しない事とはイコールではない。無理しない範囲で、ちょっとずつ始めていけばいいんだ、とミリさんの本の影響で最近考えるようになった。

最近の私は、女性の特権である母になる事を望み、その為にどうしたらいいか、そして自分が母になっても一人の女性として活き活きするにはどうしたらいいのんだろう?という事ばかりを考えている。その時に浮かぶのはこれまで出会った女性だったり、女性が書いた文章だったり、とにかく女性発信のものだった。色々考える内に「そういえば私、女が嫌い!女である自分が嫌だ!とずっと思ってたよなー」とふと思い出した。そして、そう言いながら女性発信の物ばかり求めていたことも。今もだけれど、自分の事って本当に見えていない、わかっていないなと思ったのでした。