2018年5月29日火曜日

自分に正直に生きる事の難しさ

勝間和代さんが同性との交際を公表されました。

同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/katsuma-masuhara?utm_term=.oubE8ar7G

私は最近になって勝間さんのロジカル家事の本を読み、自分自身の判断基準をしっかりと定めてそれに沿って行動する生き方とと相反するように会話のように親しみやすい文章に感銘を受けて「カツマー」になりつつありました。
そんなタイミングのニュースだったので、夫が休憩中にわざわざ「勝間さんがネットで話題になってるよ」と知らせてきたほど。

ご自身のプライベートを告白する事は勇気が必要だったと記事でも仰っているが、本当にそうだったと思う。
「私が好きな人と好きなように過ごして何が悪いのよ」と思っていても、告白する事で他人からの接し方が変わるかもしれない、覚悟はしていても傷付く言葉をかけられるかもしれない、そういった言葉や態度が自分の知らない所で自分の大切な人を傷つけてしまうかもしれない、等と考えると疑惑を持たれたとしてもわざわざ公表しなくていいのでは、と考えた事もあったのではないだろうか。
それでも勝間さんは公表した。自分を勇気づけてくれた人たちのように、自分の行動が誰かの勇気につながればという思いから。
勝間さんの意図の通り、いろんな人の考えるきっかけになって誰かの勇気に繋がったらいいと思う。

私が同性愛に対して考えるきっかけになったのは、高校生の時に出会った一人の男の子だった。一学年下だった彼は皆で放課後を一緒に過ごす仲間の一人で、その中でも私たちは特に気が合って二人でいる時間も多くなった。
彼から同性(男性)が好きかもしれない、と告白を受けたのは、知り合ってしばらく経ってからの事だったと記憶している。もともと中性的な彼の告白に私はさして驚きはせず、むしろ腑に落ちる事の方が多かった。彼の告白をすんなり受け入れ、私は彼の唯一の恋愛相談相手になった。けれど、この時私は彼の事を、正確には彼の苦悩や葛藤は一つも理解していなかったと思う。

2人だけでコイバナで盛り上がっているうちはよかった。今日は何回目が合ったとか会話したとか、相手とどんなデートがしたいと妄想してはしゃいでいる内はそれでよかった。次第に彼は自分の気持ちを抑えきれず、告白をしたいと言い出した。うまくいく可能性が低い事はわかっているけど、気持ちを発散したい。もしかしたら、0.001%でも可能性はあるかもしれない、と。
真剣に相談する彼に、私はどうアドバイスしたらいいのかわからなかった。異性への告白だったら、頑張れ!とか当たって砕けろ!とか言えたかもしれない。でも、それは言えなかった。告白した相手が、彼の事をイロモノ扱いして同級生に広めるかもしれない。同性に恋愛対象として見られている事にショックを受けるかもしれない。そして、彼にひどいことを言ってしまうかもしれない。私はとにかく、自分の大切な友人が彼自身の潜在的素質が原因で傷付く事が怖かった。
好きな人に好きと伝える、そんな当たり前の事が当たり前に出来ない。彼は何か意図があって男性を好きになった訳ではなく、そういう性質で、その自分の素直な気持ちに気付いただけなのに。その時、私は初めて彼が抱えている、そしてきっとずっと抱える事になるだろう苦悩や葛藤の辛さを理解したのだった。

結局、彼は私が的確なアドバイスを見付ける前に好きな人に告白をした。結果はノーだったが、相手の少年もとても理解のある人で、彼にひどい言葉もかけなかったし、同級生に広めたり、彼が学校に行きにくくなるような事にはしなかった。
初の失恋を経験は、彼に自分の性的嗜好をはっきりと認識させるきっかけになったのだと思う。それから彼は自分の生き方を悩み、同じ気持ちを理解しあえる相手を求めて色々なコミュニティに参加したりし始めていた。アンダーグラウンドな世界に足を運び、心許せる人との出会いもあったけれど、怖い経験もして挫けそうにもなっていた。
私は話を聞く事しか出来なかった。彼の他に同じような人は身近にいなかったし、私自身が同性愛の友人がいる事を自分の周囲の人たちに言えず、彼へのアドバイスを相談する事も出来なかった。当時、レインボーパレードのような参加しやすいイベントがあれば、もしくは私が知っていたら、一緒に参加してみようと行動が出来たかもしれない。10年くらい前の事だけど、当時はそういった情報はまだまだ少なく、その環境で私は彼の為に立ち上がる事が出来なかったのだ。

お互いに大学に入って地元を離れた事もあり、次第に疎遠になってしまったが、私は今でもセクシャルマイノリティの話題になると彼の事や、彼と話したたくさんの事を思い出す。この10年で社会は変わって、少しずつだけど彼らが自分に正直に生きる環境が作られつつあると感じている。それでもまだまだ、自分の気持ちを正直に表現する事は勇気がいる事なんだ。勝間さんの告白の記事を読んで改めて思った。
あらゆる人が自分に正直に生きられるように、もっともっと少しずつ色々な人の考え方が変わっていけばいい。私もせめて私の周囲にいる人達くらいは、正直に生きられるような環境だったり雰囲気を持てる人間になれたらいいなと思う。
そんな事を、勝間さんの記事を読んで考えさせられた。

2018年5月25日金曜日

お腹と足の話

31歳。妊娠しました。
まもなく18週。5ヶ月目真っ最中です。

もちろん妊娠は5ヶ月前に発覚していたのだけど、家族以外の人々にいつ・どのように伝えるのがわからず直接会う人や、言わなきゃいけない状況になった場合だけさらっと伝えて5ヶ月を過ごしました。
この「言わなきゃいけない状況」の見極めが難しかった。

そもそも私は今、生まれた土地でも学生時代を過ごした場所でも無く夫の仕事にくっ付いてきただけの縁も馴染みも無い土地に住んでいて、夫と職場の人を除くと会おうと思って時間と労力を割かないと会えない(もちろん金銭的負担も相当大きい)。
そんな中でも、旅行がてら会いに来てくれる友人や、次地元に帰ってくれるタイミングを探ってくれる友人には、予定がドタキャンになるかもしれないという可能性も含めて妊娠を報告できるけれど、そうじゃない人達にはどう伝えていいのかわからなかった。

というのも、妊娠ってそれだけ悩むほどデリケートな話題だと思うから。
特に初期は、妊娠が継続できる確率がまだまだ不安定でそれに伴って自分の精神状況も非常に不安定だった。中期に入り、流産の確率が統計上は低くなっても、安全に生まれる可能性は100%ではない。
更に、妊娠報告は受け手側の気持ちも様々だと思う。私自身、20代後半頃から同世代の結婚・妊娠報告を聞くと多少なりとも焦りを感じた。誰にというわけでは無いが「あなたはどうするつもりなの?」と問われているような気持にもなった。プロポーズされた報告や引っ越しした報告とは訳が違う。

そんな訳でしばらくは言わなきゃいけない状況に陥らない場合は公表していなかったが、体調が安定するに伴って自分のメンタルが持たなくなってきた。
言わなきゃいけない状況ではない場合は妊娠の報告をせずにラインのやり取りをする。インスタやコメントでやり取りをする。当たり障りない返信をする。私にとって今一番のトピックは妊娠で、食事・睡眠・外出といった基本的生活をするにも、先の計画を立てるにも、キャリアプランを考えるにも出産と子供の事は切り離せないのに、私はそれを相手に伝えていない。嘘をついているような、相手を騙しているような気持になり辛くなった。(本当は嘘をついていない。「最近どう?」と聞かれたら「妊娠した」と返答していた気がする。でもそもそも「最近どう?」ってあんまり聞かれないし聞かない。)

うすうす感づいていたけど、私は自分の事を知ってほしいかまってちゃんだった。言い訳をすると、かまってくれなくてもいいけど、知っててほしい、頭の隅に置いておいてほしい、くらいに。
それに加えて、隠し事が苦手だ。ASDの特徴でもあるけど、空気が読めない事に加えていっていい事悪い事の分別もつかない。自分が考えている事は何かに包んだりせずにそのまま伝えたい。

モヤモヤした挙句、先日安定期に入ったタイミングでインスタとフェイスブックで妊娠の報告をした。読みたくない人はすぐに画面を閉じられるし、コメントをしなくてもいい自由度が個別のやり取りよりいいかなと思い、SNSを使った。一方で個別にやり取りをする程ではないけど繋がってる人達への近況報告にもなるかなと思った。公開すると、いくつかのお祝いメッセージをいただいた。優しさが嬉しいと同時にくすぐったくもなって、やっぱり報告しなきゃよかったかな、とか面倒くさくても個別に報告すべきだったかな、とか面倒くさい感情も沸いたけど、一番は数ヶ月の悩みの種が無くなって、スッキリした。
やっぱり私は知ってほしがりちゃんなんだな。

ここ一ヶ月、ブログを開く気が起きなかったのも同じ思考からだった。言えないこと・書けないことがあるだけで、何を書いたらいいのかわからなくなる。書ける事だけ書く、というのは私にとってあまりに器用で難易度の高い事だった。
でもそのストレスから解放された私は、これからは包み隠さず思いのままに妊娠生活の事を書いていこうと思う。というのも、私自身が妊活をしていて、そして人に公表しにく妊娠初期のデリケートな時期に同じような状況の人が書いた記事を片っ端から読んで共感する事で自分の気持ちを落ち着かせていたから。知ってほしがりちゃんな上に知りたがりちゃんでもあるのだった。
知りたがりちゃんから少しばかりでも誰かの活力になればという気持ちも込めて、これまでの5ヶ月とこれから産むまでの記録を綴っていこうと思う。

蛇足だけど、妊娠して改めて気付いたことがある。
私の足首は象の足首にそっくりだった。甲が高くて幅が広い。足首が太い(きゅっと締まっていない)ので、ぼてっとしているのだった。
気付いたのは来月結婚式に参列するための靴を買った時。妊娠6ヶ月に入り体も重くなってくるので、お呼ばれ服に似合うけどヒールが低い靴を買いに行った時だった。デパートの靴売り場にも該当する素敵な靴は沢山あったけど、試着するとどれもこれも似合っていない。太い足首から続く傾斜のある足の存在感が強く、ヒールの無い靴がかすんで見えるのだった。足首や甲にリボンや紐の装飾がある靴は、太さが際立って見える。一言で言うとボテっとしていた。「これ、何かに似ているな」と鏡越しに映した横側からの自分の足首~足を見て思い出したのは、象の足だった。
そっか、私の足は象の足だったんだ。これまでスニーカーやブーツや、おしゃれをしなきゃいけない時は頑張ってそこそこの高さのヒールをはいていたから気付かなかったけど。肉付きの問題かと思って骨格を触ってみたりしたけど、体のつくりの問題でダイエットでカバーできる範囲ではないような気がする。
靴選びは苦戦したけど、2センチヒールのオシャレ靴をどうにか見付ける事が出来た。
が、子供の自分の足で立って歩けるようになるまでしばらくはヒールは封印する事になりそうだ。妊娠して直視した自分の足首の太さ。親が子供に教えてもらうことがたくさんあるとは言うが、産まれる前からの話らしい。お腹の中の私の子よ、ありがとう。