2020年9月25日金曜日

子育ては答えの見つからない問いを考え続ける毎日

ワンオペの9月の4連休に疲れ切ったので、子供たちを連れて実家に行きました。

実家では私はお休みモード。

専業主婦のプロ(と私が勝手に呼んでいる)母に家事と娘の遊び相手をしてもらい、

私はただ息子の授乳をしてのんびり過ごし、買い物の一人時間を過ごさせてもらいました。


娘が産まれてから1年半近く実家に住んでいた事もあり、娘はじじばばっ子。

家の中を自由に動き回り、

じじには遊び相手(主にテレビの操作)を、ばばにはオヤツをねだるなど、

誰に何をお願いしたらいいのかもバッチリわかっています。

元気にしゃべって動いて大きな声で笑う娘を穏やかな気持ちで眺めながら、

ふとそんな娘の姿を見たのはとても久しぶりのように感じました。


それは、それだけ毎日のワンオペ育児に必死で私に余裕が無かったから?

もちろん、それもあるかもしれません。

でも、もしかしたら娘がこんなにはしゃぐこと自体あんまり無かったのかも。

そういう風にも考えられました。


実家から今の自宅に引っ越した数か月前、私はすでに息子を妊娠していました。

身重だからという理由が半分、娘の好奇心が旺盛だからという理由が半分で、

なるべく手出しはせずに娘にやらせる、初めてのことや助けを求めた時だけ手を貸す、

という事を心がけて娘と接していました。


その甲斐もあってか、ゴミ出し、簡単な食事、物を取ってくるなど

娘は色んな事ができるようになり色んな場面で私を助けてくれます。

最近はお腹が減ったり眠たい時間でも、息子のぐずりや授乳で私が相手をしていたら

黙って一人でおやつを食べたりテレビをつけてみたりする事も増えてきて、

私にとってはとても頼もしい存在になっています。


ただ、頼りにしすぎて無理をさせたり実は我慢させてしまっているのではないか?

娘自身の子供らしさを私がセーブさせていまっていないか?

実家で両親と無邪気に遊ぶ娘を見て、ふとそんな気持ちに駆られました。


二人育児は本当に難しいです。

下の子が産まれてからしばらくは上の子優先。

とはいえ、どうしても息子の側にいかなければいけない時もあります。

二人が同時にぐずっても私が一人である事は変えられず、

両腕のそれぞれに泣く子供を抱えながらしくしく泣く事もしょっちゅうです。

そんな時に、しくしくしている私を見て何かを察したかのようにぐっと涙を堪えて

一人遊びを始める娘に助けられているのは事実です。

息子が泣き止んだ後で娘の側に行って抱きしめてお礼を伝えるけれど、

彼女の気持ちを押し殺してしまっていないかときどき不安になります。


娘にもなるべく我慢や無理をさせたくない。

でも家に帰ると一日の大半の時間を親一人子二人で過ごす生活が待っています。

私が一人なこともどうしたって変えられない現実です。

娘の本音もまだ聞き出すことはできません。

というか、きっと彼女自身が成長しながら

新しい環境へ適応しようとしているのかもしれません。


そして、適応していかなきゃいけないのは私も同じです。

この家族のフォーメーションで私も娘も、そして息子も、

ちょっと我慢したり頑張るところと気持ちを発散させるところの

折り合いをつけていかなきゃいけないんだろうと思います。


きっと息子も、本人が感じているかは別として

「二人目」としてに適応していることがあると思います。


もしかすると、娘はじじばばの所だからと思いっきりワガママしてるのかもしれない。

そうだとしたら、彼女はすでに気持ちの折り合いのつけ方を心得ているのかも。

そんな風にも思えてきました。


答えはわかりません。

でも、そう思える間は時々こうして実家でじじばばと過ごす時間を作って

娘の気持ちを発散できる環境を作ることが私にできることかなと思います。

私も楽できるしね。


子育ては答えのないとっても難しい課題だと思います。

受験も、就活も、正面から向き合わずに横道からゴールした私でしたが

子育てのお陰でようやく自分や目の前の課題に向き合うようになりました。


きっとこれは、神様か誰かが与えた私への最大のミッションなのでしょう。

課題をクリアしていけば、今まで見た事がない景色がきっと沢山見れるはず。

だから私は明日からも悩んで考えて仮説を立てて前に進んでいきます。