2018年1月12日金曜日

30歳、仕事に行けなくなる

30歳の9月、私は会社に行けなくなった。

結婚の為に引っ越しに伴って異動した事業所で働き始めて4ヶ月だった。

休み始めるまでの数日間、「仕事に行きたくない」と強くはっきり思い始めていた。
朝起きて、その日の仕事の予定を考えてた時、
夜帰宅して、翌日の出勤までにやる事を考えた時、
職場で不安に感じる要素が出てきた時、
過呼吸や眩暈が襲い掛かってきて、苦しかった。

ひどい時は通勤の為の車の運転が出来なくなり、
仕事から帰宅して疲れている夫に迎えに来てもらったり、
途中で休みながら通常20分の通勤路を倍以上の時間をかけて帰ったりしていた。
勤務中、些細な事で泣き出したこともあった。
少しずつ、けれど確実に行きたくない思いは強くなって、
詩的に言うならば、ネガティブな感情が自分の体を侵食し始めた。

そしてある日、会社に欠勤の連絡を入れて、
病院で「うつ状態」の診断書をもらい療養のための長期休職となった。

会社に行けなくなるのは人生で二度目だった。
社会に出るまでも、小学校、中学校、
大学時代のバイト先でも、突然行けなくなる事があった。
どれも原因や環境は違えど、
「行かなきゃいけない(行くつもりで準備していたのに)
 当日、もしくは前日行けなくなる」という点は同じだった。

悔しかった。ふがいなかった。情けなかった。
ああ、また私は自分の感情をコントロールできずに
突然休んで周りにも迷惑をかけてしまった。
またやってしまった。そんな気持ちだった。

具合が悪くなって行けない「病欠」とも
怠け心から来るいわば「ずる休み」とも違う。
(病欠もずる休みもきっとした事はあるけど、よく覚えていない。
という事は、自分の中で大した出来事ではなかったのだと思う。)

社会に出れば辛い事や嫌な事がある事は当たり前で、皆それでもがんばってる。
どんな気持ちを抱えていても、毎日仕事に行って勤務する、
そんな当たり前の事が出来ている人は沢山いるのに、それが出来ない自分。
自分で自分にダメ人間の烙印を押しても、
私の体は寝るし食べるし、好きな事ならやる気も湧いた。
社会に適応できないのに、生命活動は続けている、
そんなアンバランスで矛盾だらけ(と自分で烙印を押した)の私は、
通院する精神科の医師が言ってくれる
「今は休む時」「好きな事だけやっていい」「休みなさいという診断なんですよ」
という言葉だけを頼りに、休んで好きな事だけをやる時間を自分に許した。

それからの日々は、これからこのブログで書いていくつもり。
重くて辛い言葉ばかりになると思うけど、自分の為に必要な事だと思うから、
時間はかかっても自分の30歳の記録として書き綴っていこうと思う。

詳しくは後ほど、ではあるが、私は様々な過程を経て
病院で「内向的な性格」と診断された。
発達障害の一種である、自閉症スペクトラム(ASD)であった可能性も高いと言われた。

30年間、時々顔を出して私を悩ませていた自分の負の部分に医学的な名前がついてから
この文章を書いている今日までの約4ヵ月間、不安で重くしんどい日々だった。
今も、完全に脱したわけでは無く、些細な事でダークサイドに堕ちて行く。
でも確実に4ヶ月前より、自分の事を受け入れて、攻略法を得たという自覚はある。

だからこの一年は、出来るだけ前を向いて、自分に出来る事をやっていきたい。
そんな年にしたいと思う。
そして、このブログではその記録を書いていきたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿