30歳の秋、仕事に行けなくなった私は
近くの総合病院のメンタルヘルス科を受診した。
ストレスによる過呼吸が続き、出勤が困難になったため病院を探したのだが、
予約をして診療を受けるまでもなかなか大変だった。
まず、近隣の「心療内科」や「メンタルヘルス科」の看板を掲げている
個人病院に予約電話をするも、なかなか予約が取れないのだった。
提案されるのが早くても2週間後の日にちとか、
ひどい所では今は新規予約を受け付けていなくて
新規予約の受付自体が2週間後、とのことだ。
これは後から自分の知人の範囲で聞いた話だが、
「心療内科予約取れない現象」はよく起きていることらしい。
私が住んでいる地方でも、人口が多い首都圏でも同じ状況らしい。
人口6,000万人規模の現住所から通える範囲(車で1時間以内)に
心療内科系の医院は8つ近くあった。
私はこれを、今までに住んでいた地域に比べると多いな、という印象だったが
この内の5院ほど電話したものの、全て上記のような回答で
いずれにせよ「すぐに予約が取れない」状況だった。
既に会社を欠勤していた私は焦りもあり、続いて近くの総合病院に電話をした。
電話で症状を訴え、メンタルヘルス科の受診したいというと、
畳み掛けるように「うちは精神科の先生になるけどいいですか?」と言われた。
それでも構わなければ翌日、待ち時間は長くなるが予約出来る、と。
「メンタルヘルス科」の予約をしているつもりだった私は、混乱した。
というのも、それまでの病院探しの過程の中で私は
「精神科よりも心療内科やメンタルヘルス科を受診したい」と考えるようになっていた。
ネットで検索している際はもちろんHPが情報源になるのだが、
精神科のHPを見ると、心療内科やメンタルヘルス科より少々重い気持ちになった。
心療内科やメンタルヘルス科はHP自体が白や緑など明るい印象で
「1人で抱え込まないで何でも話してください」のような優しい言葉が書かれていた。
医院の外観も緑に囲まれていたり、爽やかで柔らかい雰囲気だった。
一方で精神科は、茶色などの落ち着いたトーンのページが多く
「○○中毒のご家族の方へ」など、家族との通院が必須と思えるような文章もあり、
より重度な印象を受けたのだった。
外観の写真も、重厚な建物で二重窓のような所が多かった。ベランダも無さそう。
これも後で医師に聞いて知った事だが、
「心療内科」「メンタルヘルス科」「精神科」はどちらも出来る事は同じで
医師の専門分野(専攻?)は同じ「精神科」らしい。
個人病院では患者が入りやすくするために、
「メンタルヘルス科」「心の病院」などと独自に謳っている場合もあるとのことだった。
そんな事を知らない私は予約の電話の「精神科」の名前に驚きパニックになり、
予約手続きの途中に電話を切ってしまった。
隣で聞いていた夫が驚き、すぐに電話をかけなおして翌日の予約を取ってくれた。
これも後で知った事だが、私が電話をした総合病院は個人医院からの紹介が大多数で
私のように紹介状が無く、直接の予約をするケースはあまりないらしい。
(地元の暗黙のルールというのか慣習というのか、そういう類のやつだ)
通ってみてわかったが、二階建て・二棟のの病院内いつも患者であふれている。
私のように自分で電話が出来る程度の患者は遠まわしに断りたかったのかもしれない。
(医者不足の問題はわかるけど、患者としてはそんなこと知るか!状態だ。)
一悶着の予約を終えて、私はメンタルヘルス科の診察を受けた。
研修医による問診、血液検査と脳のCT検査を行い、医師の診察を受けた。
始めの研修医がポンコツで、問診中に号泣する羽目になり、
帰ろうとしたが夫に止められた。
(冷静になった今考えても、精神的に参っている患者の対応として不適切だった。)
様々な数値や問診の内容、そして話をした医師の診断は、
「一時的なストレスによるうつ症状はあるが、根本的な特性による問題の可能性がある」
というものだった。
具体的には、発達障害の一種である
自閉症スペクトラム(ASD)の可能性があると診断された。
自閉症スペクトラム(ASD)の特性には
人との関わりが苦手でこだわりが強い、の点が挙げられるが、
診察時の私の言動から医師がそのように判断したのだった。
そして、後日の心理検査(WAIS-Ⅲ、MMPI、AQ)の受診を提案された。
自閉症スペクトラム(ASD)という言葉を聞いた事も、
自分が発達障害かもしれないと言われたのも初めてだった。
予想もしていなかった初登場のワードに驚きはしたものの、
やっと自分の事がわかった、解決策が見つかった、というような安心感が大きかった。
思えば私は幼少期から周囲の同世代と比べて自分がおかしいと感じる事が多かった。
目に見えるいじめとは違うけど、私が発言すると雰囲気がおかしくなったり、
友達がいつの間にか離れていく、という経験が各コミュニティであった。
学校の勉強は人並みに出来、先生の言う事は聞くいわゆる優等生タイプだったので
成績や大人からの評価と、友人の人数(関係性)に戸惑う事も多かった。
人間関係に関する多くのハウツー本を読んで、その場その場での人間関係は築けても
本音で話したり自分自身がリラックス出来る関係を築く事が本当に大変だった。
症状名が付き、自分の特性が客観的にわかる事で
解決できなかった悩みが具体的に解決できるのであれば何よりだと思った。
怖かったといえば夫の反応だったが、驚くとかショックといった反応は無く、
知らない言葉への興味・関心からくる好奇心を強く感じているようだった。
医師の初診から心理検査を受けて結果を聞くまでの約2週間、
ネットや本などでASDについて調べる日々が続いた。
今は発達障害の人がSNSで情報を発信している事も多く、
直接コンタクトは取らなくても漠然と「私だけじゃないんだ」と感じる事も出来た。
それは私にとって、自分を知り、長年苦しんでいた不安定さと付き合う方法を知るための前向きで明るい作業だった。
初診から2週間後、心理検査の結果として示されたのは
「検査上、典型的なASDとは見られない」
「内向的な性格、抑うつ、不安状態」との所見だった。
しかしながら、発達障害は大人になってからでは診断が出にくい場合もあるらしく
その可能性は否定できないというのが、診察した医師の診断であった。
診断が出にくい、というのは
先天的には発達障害だったが、幼少期に診断されず(気付かず)
個性や性格だと思われ(苦労しながらも)社会生活を送っている場合があるらしい。
そのまま問題行動が収まる場合もあれば、
私のようにうつなどの精神疾患になる事も少なくなく、
医師によっては発達障害の可能性を検討せずに診察を進める場合もあるとの事あった。
発達障害・ASDという診断に、自分を知る希望を見出していた私は
心理検査で結果が出なかった事には少なからず不安を感じた。
けれど「もともとそうだった(ASDだった)けどどうにかやってきた」と考えると
自分の中で腑に落ちる事が多かったので、そう納得する事にした。
そう納得してASDの特性や改善法を知る事が
私自身にとっての社会復帰の一番の近道だと感じていたのだった。
そこから今まで、ASDについて学び、自分の行動を振り返り、解決方法を知る、
という作業が続いた。
それは自分の30年間の人生を振り返る事であり、
振り返る事の多くは痛々しく、辛い出来事だったので精神的負荷も大きかった。
これまで蓋をしていた痛々しい思い出は、思い返した後もすぐに蓋をしたくなり
蓋をすると、すぐに忘れてしまったり改善法を見失う事もあった。
その為に始めようと思ったのが、ブログである。
2017年内に書き始めるつもりだったのが遅れてしまったが、
予定よりも社会復帰が後ろ倒しになった事もあり、
想定外に出来た空き時間で、ちゃんと言葉にしていこうと思う。
目標、31歳になる1月25日までに。
「30歳~~~」シリーズで知りえたASDの特性・改善法と
自分自身のこれまでの人生の事を書き記していこう。
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