2020年5月29日金曜日

最後の3週間から見えてきた一番大切なもの


昨年9月から5ヶ月間、コーチングスクールに通いました。

コーチングとは…
クライアント(コーチングをする相手)が目標に向かって行動できるように導くためのコミュニケーションです。私が通ったスクールではコーチングを子育てに活かせるようになろうという目的のママ向けのスクールでしたが、アドラー心理学などコーチングの知識を基礎から学べるスクールでした。(ブログの最後にスクールの紹介もあります。)

コーチングではクライアントの目標や価値観を受け入れる「他者受容」が大事なのですが、そのためにはまずコーチである自分自身が「自分を受け入れる」=「自己受容」を出来るようになる事もとても重要です。スクールの中でも、色々なワークを通じて自分の価値観や認知を知って、自分を整える事に多くの時間を使いました。

そのワークの中で特に私の印象に残っているのが「3週間後の死」というものです。

ちょっと重いテーマなのですが、文字通り「自分がもし3週間後に死ぬとしたら?」を想像して一日単位でやりたい事を書き出していきます。


”3週間、21日、、、結構あるなぁ”

1日目から21日目まで日付が並んだワークシートを見た時に私が初めに感じた事です。

「何の制約もなく思い浮かぶままに書いてみましょう」と言われても、やりたい事がなかなか出てこなかったのです。

行きたいと思っていたエアーズロックには行っておこうかな。それで10日は使えるな…
見られて恥ずかしい写真とか処分しておこう…これで2日くらいつぶれるな…
好きなGLAYのライブにはいったらまた行きたいと思ってしまうからやめておこう…
友達には、、、会ったら泣いちゃいそうだからやめておこう
何か最後に伝えたい事がある子には手紙を書いておこうかな…

じゃあ逆に手紙で伝えたい事がある人は…?
親には先に死んでごめんね、くらい書いておこうかな。
13歳年上の夫には「(私の方が若いから)あなたの介護は任せて!」と言って結婚した手前、お詫びと子供の事とか引き継いでおかないとな。

と、こんな感じで絞り出すように、少しずつやりたい事を書き出していきました。

ちなみに、やりたい事を書き出すことで自分にとって大切な事が何かを知ることがワークの目的なので、実現可能性(例えば航空券が手配できるかなど)は考えません。

この時点でワーク最中の部屋の中には他のスクール生がすすり泣いているような声も聞こえてきました(自分自身と向き合う為に背中を向けて顔を合わせない状況で書いています)。

日常生活を健康的に送っていたら、自分の死なんて普段はなかなか考えません。
まして、3週間後に死ぬとして何をする⁉なんてなかなかハードな作業です。
不安や恐怖、寂しさを感じるのは当然ですし、想像とは言え「死」のへ抵抗感もあると思います。

でも、私はなんとなく淡々とタスクを書き出している感覚でした。
飛ぶ鳥跡を濁さず、ではないのですが
「どうしたら家族の手間(遺品整理など)を最小限に出来るか」
「関わった人たちに気持ちの負担をなるべく小さく出来るか」ばかりを考えていました。


けれど、ペンが止まったのは娘の事を考え始めた時です。

その当時の娘は1歳になったばかり。一人ではまだ何もできません。
もし私が今死んだら、この子の記憶には残らない。母親を知らない子になるんだ…
きっと寂しい思いをさせてしまうと思うから、大きくなってから読めるように手紙を書いておこうかな。

どんな手紙を書こうかな…
夫に読んでもらえるようになる数年後の娘を想像して、、、
1人で読めるようになる十数年後を想像して、、、
恋をしたり生き方に悩む二十数年後を想像して、、、

と具体的に手紙の内容を考え出した時、私の感情が大きく動きました。


”…いやだ!
想像なんかしたくない!私は娘の成長を全部自分の目で見たい!”


”娘が一人で歩いて、言葉を話す姿を自分の目で見たい。
怒ったり悩んだりする姿も見たいし聞きたい。
たとえ反抗的な態度を取られたり、娘の言葉に傷つけられてもいい。
それでもいいから、私は娘の成長を自分の目で見たい!!!”

それまで淡々と作業していた私の心の中からそう強く叫ぶ声が聞こえて、すーっと涙が溢れてきたのです。


すると、3週間後の死を考えることが途端に怖くなりました。


そして、たぶん生まれて初めて強く思いました。
「自分の人生を生きたい」と。


というのも、それまでの私はネガティブな思考で昔から(記憶にあるのは小学生の頃から)「自分の人生なんてどうでもいい」と考えていました。
…と言いつつ見かけや人の評価は気にするし自分も人を評価するし、無茶は嫌いで危ない橋は渡りたくない、、、矛盾していると自分で思うのですが、それでも「どうせ私なんて…」と自分の人生を諦めて投げやりに考えていたのです。

それが、3週間後に死ぬとしたら…と具体的に想像する事で、自分が我が子の成長を見たいと思っている事に気付き、初めて自分の意思で「自分の人生を生きたい」と思ったのです。

それは、我が子を立派に育てたいとか、導きたい、とかではなく、
子供の為なら自分の命をなげうってでもいい、でもなく
我が子という一人の人生に伴走するように一緒に生きていきたい。
親という特等席で娘の成長を見守る一番のサポーターでありたいと思ったのです。

自分の人生最後の3週間でやりたい事を考えるって特別難しい事ではないのですが、このワークで私は自分にとって一番大切な事とどう生きていきたいかに気付く事が出来ました。


大切な事が分かってから、ありたい姿がはっきりと想像できるようになりました。
そして、あらゆる選択に迷いなく、納得感を持って決断できるようになりました。

例えば、私はずっと「働く女性」への憧れが強く、自分のキャリアが出産や育児で止まっている事に対して焦り、キャリアを積み上げていく同世代の女性たちを羨み、時には自分を慰める為にマイナス探しをしていました。でもこれってすごく虚しいんです。

それが「私は生きて子供の成長を見守りたい」と気付いた事で、育児に専念できる環境に感謝して毎日の娘との生活を楽しめるようになりました。

昨今のコロナ禍を穏やかな気持ちで過ごせたのも、この気付きの影響が大きかったです。

では、子供の良き伴走者として成長を特等席で見守るためには、これからどうしていこうか?
これが今の私の課題であり、思い描いている未来です。


子供の成長を隣や一歩後ろという特等席で見守っていきたい。
1歳7か月になった娘とお腹にいる第二子どちらに対しても同じ気持ちです。


私が半年間で沢山の学びと経験をしたスクール
「MUSE COMPASS ママコーチスクールBASIC」の紹介ページはこちらから
4月開講予定だった1期が、昨今の情勢を鑑みて7月スタートに変更になっています。
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2020年5月26日火曜日

2020年2月、一冊の本を手放した

20202月、私はある本を手放しました。

 

それがこの本です。


この本を買ったのは3年前の秋。

私は当時職場の環境や人間関係に適応できずうつ状態になり、夫に付き添われて診察を受けたメンタルヘルス科で医師から発達障害(ASD:自閉症スペクトラム障害)の可能性が高いと言われ、その病院の帰りに寄った本屋で買った本です。

それまで断片的にしか知らなかった発達障害でしたが、この本を読めば読むほど、自分に思い当たる事が多く、それまで感じていた言葉にしにくい「生きにくさ」の答えが見つかったようでとても救われた気持ちになりました。

 

結果的にその後に受けた心理検査で明確な数値は出なかったのですが、医師の診断は変わらずうつ病ではなく生まれ持った性質によるもの。その為に抗うつ剤は処方されず、心理療法・認知療法での治療がそこから始まりました。

発達障害でも知能指数が低くないと、生きにくさやストレスを感じながらも成長過程で周囲の人たちに合わせて言動を変える、いわゆる空気を読むということを学んでいき、自分が発達障害と知らずに大人になり、検査でも数値が出ないという例はよくあるそうです。いわゆる「グレーゾーン」というやつです。

グレーゾーンであっても本に書いてある事に強く共感する事には変わりなく、それからこの本は私の心の支えであり、自分の気持ちを保ちながら社会生活を送れるかを知るための教科書のような存在になりました。


それほど自分にとって意味のある本をどうして手放すことが出来たのか?


それは、私がありのままの自分自身の事を受け入れられるようになってきたからです。

 

グレーゾーンの診断後、通院を経て職場復帰をして、それまでと同じように友人に会ったり外出したりする生活が出来るようになりました。私にとってとても大きな出来事である、妊娠・出産も経験しました。それでも、やはり私は自分を好きになれなかったし、自分の言動に自信が持てませんでした。

壁にぶつかり悩む度に、この本を開いて読んで解決方法を探り心を落ち着かせていました。グレーゾーンである事にも悩み、専門機関の診療を真剣に考えていた時期もあります。


それでも、もうこの本は私にとって必要ないから手放そう、と思えるようになったきっかけは、昨年通ったコーチングスクールでした。


コーチングは、クライアント(コーチングをする相手)が目標に向かって行動できるように導くためのコミュニケーションですが、クライアントの目標や価値観を受け入れるためにはまず「自分を受け入れる」=「自己受容」が必要になります。

私が通ったスクールでも、色々なワークを通して過去・現在・未来と色々な角度から自分を見つめなおして自分を受け入れる事をしていきました。


その結果、私自身が今ある自分をそのまま受け入れようと思えるようになってきたのです。

そして、自分のダメな所や苦手な事を「私はこれもあれも出来ない」とマイナスに考えるのではなく、今の自分で何が出来るか?どんな事でより成長していけるか?とプラスに考えられるようになり、その上で私は何がしたいか?と考えられるようになりました。

今の自分を突き詰めていくより、未来に向かって自分を受け入れられるようになりました。


特に、もっと知りたいと思っていた自分の発達障害についてもこれ以上調べなくてもいいかな、と思えたのは自分でも驚くほどの変化でした。

発達障害かも、というのは私の特性の一つだと思っています。

でも、今はそれを深く追求していくより、私自身が持っている特性を活かして私がやりたい事をやろう、なりたい自分になっていこう、と思えるようになりました。


その気持ちの変化の表れの一つが、心の支えでもあった本を手放す事でした。


手放したら、また一歩前に進んだようで気持ちがすっきりしました。

断捨離や処分というよりは卒業といった方が当てはまるかなと思います。

処分の方法も、メルカリで売ったのも良かったです。古本屋でまとめ売りするよりも次に必要な人に届けられた気がして、私の心の支えだった本が次の誰かの役に立っていたらいいな、と思っています。


このブログの前回の更新から約2年。

その間に色んな環境の変化がありました。出産・引っ越し・初めての育児・また引っ越し、そしてまた妊娠…

そしてコーチングを学ぶ機会を得て、沢山の意識の変化がありました。

第二子の妊娠も37週を迎えて、まさに出産を目の前に控えながら、コロナ禍という社会的な環境も影響して、日々色んな事を考えています。

そしてそのうちに、この数ヶ月間に私自身が変化した事や、今考えている事をまたいつか読み返せるように書き留めておきたいと思うようになりました。

そして今の私が残す言葉は、誰か、もしかしたら数年後の自分にとって何かのプラスになるかもしれない。

そう思ってとても久しぶりにブログを書きました。

いつまで続くかわからないけど、少しずつ書いてみようと思います。


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2018年5月29日火曜日

自分に正直に生きる事の難しさ

勝間和代さんが同性との交際を公表されました。

同性を愛するということ 勝間和代のカミングアウト https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/katsuma-masuhara?utm_term=.oubE8ar7G

私は最近になって勝間さんのロジカル家事の本を読み、自分自身の判断基準をしっかりと定めてそれに沿って行動する生き方とと相反するように会話のように親しみやすい文章に感銘を受けて「カツマー」になりつつありました。
そんなタイミングのニュースだったので、夫が休憩中にわざわざ「勝間さんがネットで話題になってるよ」と知らせてきたほど。

ご自身のプライベートを告白する事は勇気が必要だったと記事でも仰っているが、本当にそうだったと思う。
「私が好きな人と好きなように過ごして何が悪いのよ」と思っていても、告白する事で他人からの接し方が変わるかもしれない、覚悟はしていても傷付く言葉をかけられるかもしれない、そういった言葉や態度が自分の知らない所で自分の大切な人を傷つけてしまうかもしれない、等と考えると疑惑を持たれたとしてもわざわざ公表しなくていいのでは、と考えた事もあったのではないだろうか。
それでも勝間さんは公表した。自分を勇気づけてくれた人たちのように、自分の行動が誰かの勇気につながればという思いから。
勝間さんの意図の通り、いろんな人の考えるきっかけになって誰かの勇気に繋がったらいいと思う。

私が同性愛に対して考えるきっかけになったのは、高校生の時に出会った一人の男の子だった。一学年下だった彼は皆で放課後を一緒に過ごす仲間の一人で、その中でも私たちは特に気が合って二人でいる時間も多くなった。
彼から同性(男性)が好きかもしれない、と告白を受けたのは、知り合ってしばらく経ってからの事だったと記憶している。もともと中性的な彼の告白に私はさして驚きはせず、むしろ腑に落ちる事の方が多かった。彼の告白をすんなり受け入れ、私は彼の唯一の恋愛相談相手になった。けれど、この時私は彼の事を、正確には彼の苦悩や葛藤は一つも理解していなかったと思う。

2人だけでコイバナで盛り上がっているうちはよかった。今日は何回目が合ったとか会話したとか、相手とどんなデートがしたいと妄想してはしゃいでいる内はそれでよかった。次第に彼は自分の気持ちを抑えきれず、告白をしたいと言い出した。うまくいく可能性が低い事はわかっているけど、気持ちを発散したい。もしかしたら、0.001%でも可能性はあるかもしれない、と。
真剣に相談する彼に、私はどうアドバイスしたらいいのかわからなかった。異性への告白だったら、頑張れ!とか当たって砕けろ!とか言えたかもしれない。でも、それは言えなかった。告白した相手が、彼の事をイロモノ扱いして同級生に広めるかもしれない。同性に恋愛対象として見られている事にショックを受けるかもしれない。そして、彼にひどいことを言ってしまうかもしれない。私はとにかく、自分の大切な友人が彼自身の潜在的素質が原因で傷付く事が怖かった。
好きな人に好きと伝える、そんな当たり前の事が当たり前に出来ない。彼は何か意図があって男性を好きになった訳ではなく、そういう性質で、その自分の素直な気持ちに気付いただけなのに。その時、私は初めて彼が抱えている、そしてきっとずっと抱える事になるだろう苦悩や葛藤の辛さを理解したのだった。

結局、彼は私が的確なアドバイスを見付ける前に好きな人に告白をした。結果はノーだったが、相手の少年もとても理解のある人で、彼にひどい言葉もかけなかったし、同級生に広めたり、彼が学校に行きにくくなるような事にはしなかった。
初の失恋を経験は、彼に自分の性的嗜好をはっきりと認識させるきっかけになったのだと思う。それから彼は自分の生き方を悩み、同じ気持ちを理解しあえる相手を求めて色々なコミュニティに参加したりし始めていた。アンダーグラウンドな世界に足を運び、心許せる人との出会いもあったけれど、怖い経験もして挫けそうにもなっていた。
私は話を聞く事しか出来なかった。彼の他に同じような人は身近にいなかったし、私自身が同性愛の友人がいる事を自分の周囲の人たちに言えず、彼へのアドバイスを相談する事も出来なかった。当時、レインボーパレードのような参加しやすいイベントがあれば、もしくは私が知っていたら、一緒に参加してみようと行動が出来たかもしれない。10年くらい前の事だけど、当時はそういった情報はまだまだ少なく、その環境で私は彼の為に立ち上がる事が出来なかったのだ。

お互いに大学に入って地元を離れた事もあり、次第に疎遠になってしまったが、私は今でもセクシャルマイノリティの話題になると彼の事や、彼と話したたくさんの事を思い出す。この10年で社会は変わって、少しずつだけど彼らが自分に正直に生きる環境が作られつつあると感じている。それでもまだまだ、自分の気持ちを正直に表現する事は勇気がいる事なんだ。勝間さんの告白の記事を読んで改めて思った。
あらゆる人が自分に正直に生きられるように、もっともっと少しずつ色々な人の考え方が変わっていけばいい。私もせめて私の周囲にいる人達くらいは、正直に生きられるような環境だったり雰囲気を持てる人間になれたらいいなと思う。
そんな事を、勝間さんの記事を読んで考えさせられた。

2018年5月25日金曜日

お腹と足の話

31歳。妊娠しました。
まもなく18週。5ヶ月目真っ最中です。

もちろん妊娠は5ヶ月前に発覚していたのだけど、家族以外の人々にいつ・どのように伝えるのがわからず直接会う人や、言わなきゃいけない状況になった場合だけさらっと伝えて5ヶ月を過ごしました。
この「言わなきゃいけない状況」の見極めが難しかった。

そもそも私は今、生まれた土地でも学生時代を過ごした場所でも無く夫の仕事にくっ付いてきただけの縁も馴染みも無い土地に住んでいて、夫と職場の人を除くと会おうと思って時間と労力を割かないと会えない(もちろん金銭的負担も相当大きい)。
そんな中でも、旅行がてら会いに来てくれる友人や、次地元に帰ってくれるタイミングを探ってくれる友人には、予定がドタキャンになるかもしれないという可能性も含めて妊娠を報告できるけれど、そうじゃない人達にはどう伝えていいのかわからなかった。

というのも、妊娠ってそれだけ悩むほどデリケートな話題だと思うから。
特に初期は、妊娠が継続できる確率がまだまだ不安定でそれに伴って自分の精神状況も非常に不安定だった。中期に入り、流産の確率が統計上は低くなっても、安全に生まれる可能性は100%ではない。
更に、妊娠報告は受け手側の気持ちも様々だと思う。私自身、20代後半頃から同世代の結婚・妊娠報告を聞くと多少なりとも焦りを感じた。誰にというわけでは無いが「あなたはどうするつもりなの?」と問われているような気持にもなった。プロポーズされた報告や引っ越しした報告とは訳が違う。

そんな訳でしばらくは言わなきゃいけない状況に陥らない場合は公表していなかったが、体調が安定するに伴って自分のメンタルが持たなくなってきた。
言わなきゃいけない状況ではない場合は妊娠の報告をせずにラインのやり取りをする。インスタやコメントでやり取りをする。当たり障りない返信をする。私にとって今一番のトピックは妊娠で、食事・睡眠・外出といった基本的生活をするにも、先の計画を立てるにも、キャリアプランを考えるにも出産と子供の事は切り離せないのに、私はそれを相手に伝えていない。嘘をついているような、相手を騙しているような気持になり辛くなった。(本当は嘘をついていない。「最近どう?」と聞かれたら「妊娠した」と返答していた気がする。でもそもそも「最近どう?」ってあんまり聞かれないし聞かない。)

うすうす感づいていたけど、私は自分の事を知ってほしいかまってちゃんだった。言い訳をすると、かまってくれなくてもいいけど、知っててほしい、頭の隅に置いておいてほしい、くらいに。
それに加えて、隠し事が苦手だ。ASDの特徴でもあるけど、空気が読めない事に加えていっていい事悪い事の分別もつかない。自分が考えている事は何かに包んだりせずにそのまま伝えたい。

モヤモヤした挙句、先日安定期に入ったタイミングでインスタとフェイスブックで妊娠の報告をした。読みたくない人はすぐに画面を閉じられるし、コメントをしなくてもいい自由度が個別のやり取りよりいいかなと思い、SNSを使った。一方で個別にやり取りをする程ではないけど繋がってる人達への近況報告にもなるかなと思った。公開すると、いくつかのお祝いメッセージをいただいた。優しさが嬉しいと同時にくすぐったくもなって、やっぱり報告しなきゃよかったかな、とか面倒くさくても個別に報告すべきだったかな、とか面倒くさい感情も沸いたけど、一番は数ヶ月の悩みの種が無くなって、スッキリした。
やっぱり私は知ってほしがりちゃんなんだな。

ここ一ヶ月、ブログを開く気が起きなかったのも同じ思考からだった。言えないこと・書けないことがあるだけで、何を書いたらいいのかわからなくなる。書ける事だけ書く、というのは私にとってあまりに器用で難易度の高い事だった。
でもそのストレスから解放された私は、これからは包み隠さず思いのままに妊娠生活の事を書いていこうと思う。というのも、私自身が妊活をしていて、そして人に公表しにく妊娠初期のデリケートな時期に同じような状況の人が書いた記事を片っ端から読んで共感する事で自分の気持ちを落ち着かせていたから。知ってほしがりちゃんな上に知りたがりちゃんでもあるのだった。
知りたがりちゃんから少しばかりでも誰かの活力になればという気持ちも込めて、これまでの5ヶ月とこれから産むまでの記録を綴っていこうと思う。

蛇足だけど、妊娠して改めて気付いたことがある。
私の足首は象の足首にそっくりだった。甲が高くて幅が広い。足首が太い(きゅっと締まっていない)ので、ぼてっとしているのだった。
気付いたのは来月結婚式に参列するための靴を買った時。妊娠6ヶ月に入り体も重くなってくるので、お呼ばれ服に似合うけどヒールが低い靴を買いに行った時だった。デパートの靴売り場にも該当する素敵な靴は沢山あったけど、試着するとどれもこれも似合っていない。太い足首から続く傾斜のある足の存在感が強く、ヒールの無い靴がかすんで見えるのだった。足首や甲にリボンや紐の装飾がある靴は、太さが際立って見える。一言で言うとボテっとしていた。「これ、何かに似ているな」と鏡越しに映した横側からの自分の足首~足を見て思い出したのは、象の足だった。
そっか、私の足は象の足だったんだ。これまでスニーカーやブーツや、おしゃれをしなきゃいけない時は頑張ってそこそこの高さのヒールをはいていたから気付かなかったけど。肉付きの問題かと思って骨格を触ってみたりしたけど、体のつくりの問題でダイエットでカバーできる範囲ではないような気がする。
靴選びは苦戦したけど、2センチヒールのオシャレ靴をどうにか見付ける事が出来た。
が、子供の自分の足で立って歩けるようになるまでしばらくはヒールは封印する事になりそうだ。妊娠して直視した自分の足首の太さ。親が子供に教えてもらうことがたくさんあるとは言うが、産まれる前からの話らしい。お腹の中の私の子よ、ありがとう。

2018年4月12日木曜日

毒親とはちょっと違うんだけど

今日は8ヶ月通った病院の最後の診察だった。
職場復帰をしてからも月1ペースで通い続けていたが、心穏やかに過ごせるようになってきたし、もともと薬を処方されていなかったので前回の診察の時に「問題なければ次回で終わりで」と医師から提案されており、予定通り終了となった。

最後の診察で、私がアドバイスを求めたのは両親の事だった。
母とは半年以上会っていないがラインでのやり取りがあり、その中で最近傷付く発言があり、それ以来母親のアカウントをブロックしていたのだった。
嫌だからってブロックなんて子供っぽいし、既読スルーとか未読スルーすれば済むのに、と自分で思いながらも、親にとって私は子供だし(屁理屈だけど)実際ブロックしてから気持ちがモヤモヤする事がなくなった。スルーとブロックは全然違う。急用があるなら電話してくればいい。

とはいえ、ブロックしてそれで縁を切って終了!とはなれなかった。親子だからだ。
私の両親は、私が思い出しても他人から見ても私にたっぷりの愛情を注いでくれた。父は昼夜関係なく働き、進学や引っ越しや結婚といった大金が必要な時は惜しみなく援助してくれたし、専業主婦の母はとにかく私のことを最優先して沢山の時間や労力を注いでくれた。おかげで私は何不自由なく、我慢や飢えを知らずに大人になった。
それでも、自分の発達障害や鬱の事を考えるたびに、私は両親への複雑な気持ちを抱えていた。両親は愛情を注いでくれたけれど、私には受け皿が無かった、私が欲しい愛情とは違った、と表現するとしっくりくる。私の為を考えるばかりに意見が押しつけがちになる両親に対して、自分の考えをまとめるのに時間がかかる私はちゃんと反論する事が出来ず、泣いたり喚いたりする事しかできなかった。細かい「ああしてほしかった」という事はたくさんあるけれど、一番は私の話をもっと聞いてほしかった。時間はかかったかもしれないけれど、自分の言葉で話すまで聞いていてほしかった。
親に素直になれなかったモヤモヤを30歳を過ぎて夫が解消してくれている点が沢山あり、夫はそれを悩みながらも本を読んで知識をつけたり努力をしてくれている。妻が私でなければしなくて済んだ負担を沢山かけてしまっている。なのに、遺伝上私を構成する要素である親が理解せず、大した歩み寄りの努力もしていない(ように見える)事が腹立たしかった。
夫が私の両親に病気の事を伝えた時(私は不在)、母は小さい頃から本当に大変な子だったんですとめそめそ泣き、父はこんなに理解のある男性と巡り合えて本当に良かった、本当にありがとう。今後ともどうぞよろしくと言って頭を下げたらしい。が、いやいや。夫に丸投げしてハイ終わりじゃないでしょ!夫の負担は誰のせいだと思っているの?8割は私自身でも残りの2割はあなた達(父母)でしょ?(夫は0割でしょ?)というのが私の感想だった。(そう言って、報告してくれた夫を前にひと暴れした。大迷惑。)

そんなような事を医師に伝えると、いつも通りごもっともな返答をくださった。
・親子だからといって理解してもらえると思わないほうがいい。
・私自身の感情をそのまま伝えると、親は自分の考え方・子育てを否定されたと感じて拒絶される可能性もあるので、伝えずに済むのであれば伝えないままでいるのも一つの解決策。特に私の場合、親とは距離を置いた方がよさそう。
・理解しあう為に、親と共に精神科を受信して親子関係を修復する治療法もあるが、それ自体を理解しない親も多いのでそれを選択するかは考えたほうが良い。
・歩み寄る方法の一つとして、子育てや介護といった同じ目的の為の協力者としてであれば、結果的に理解しあえるかも。
・協力者として近くで過ごす場合も、親として甘える存在というよりは効率よく物事を解決するために自分の苦手な事を助けてもらう存在として考えたほうが良い(ビジネスライクに)。目的が達成されたり、助けが不要に感じたらきれいさっぱり離れればよい。

説明の折に「そもそも理解されていたら今の状態になっていなかったから」とか「親達は受けてきた教育や社会の概念が違うから」とか、ハッキリぶった切ってくれた事もありがたかった。(やはり私ははっきり言ってもらった方が納得できる。)その上で「親御さんもきっと頑張ってこられたと思うから、そこは認めてあげましょう」と第三者から言われたのは初めてで、今までのモヤモヤがすっと消えたようにすっきりした。

なぜって親子関係のモヤモヤって、友人や同僚といった第三者には非常に伝えにくい。そもそも親に対して無条件の信頼を寄せている人にはなかなか理解してもらえないし、私の親の愛情深さを知っている人は「きっと分かり合えるよ」と(きっと私の為を思って)楽観的なコメントで終わらせてしまう。育児放棄や虐待、両親間のトラブルなど話し相手が想像しやすい出来事があった訳でないし、親に感謝している事も沢山あるのでそもそも説明もしにくく私自身が最後まで思いの丈を話せた経験もあまりない。私自身も親と何となく距離をおいてうやむやにしていた。発達障害や鬱の診断が無ければ、うやむやのままいられたと思う。

第三者として、精神科の専門医として医師のアドバイスは的確で、おかげで最後の診察でも私達夫婦はスッキリして気持ちよく終えることが出来た。前からこの医師に信頼を寄せている夫は「(私の親の事を)知っているかのようなコメントですごい」と感動していた。仕舞には「先生のアドバイスの引き出し、まだまだありそうだな~もっと引き出したいな~」と主旨の逸れた発言もしていたが、毎回待合室が大混雑の病院に、好奇心だけで通うのは気が引けるのでご提案通り通院終了とさせて頂いた。
最後にも「何かあったらいつでも来てくださいね」と言ってくれた。

会計を待っている間、8ヶ月前の初診の自分を思い出した。
ずっと下を向いていて症状を伝える為に口を開くと涙が止まらなかった。そもそも病院への予約電話は途中で電話を切ったし(ちなみにそれ以来病院への予約電話は出来ないまま)診察を待つ間に「私なんかが診察受けちゃダメだ」と自虐的になって帰ろうとしたこともあった。夫が外に電話を掛けにいっている間に自分の順番になり、夫が横にいないことにパニックになった事もあった。
それに比べて、今日の私は元気だ。待合室ではクイズアプリに不正解を出す夫に憎まれ口をたたき、会計待ちの間はその後に行く事を決めていたラーメン屋で何を食べるか考えてお腹が鳴るのを必死に堪えていた。
私、元気になったかも。それもこれも先生のおかげです。あと、忙しいのに診察に毎回付き合ってくれた夫も。感謝感謝。

2018年4月4日水曜日

女である自分

10代の頃、私は女子特有のグループ付き合いが苦手で事あるごとに男に生まれ変わりたいと思っていた。
かといって、漫画に登場するボーイッシュな子のように男の子っぽい恰好をしたり、スポーツが得意だったわけでもない。思った事をそのまま言うと次の日から仲間外れにされたり、興味のない誰かの片思いに協力するという口実で貴重な休日に遊びに付き合わされる事が嫌だった。自分の唯一の趣味である好きなゲームや音楽の話を女子のグループ内ですると白けてしまうのも苦痛だった(それは私の話がマニアックだったからなのだけれど)。その時に話し相手になるのは男子だけだったから、ただそれが楽しくて男子になりたいと思っていただけだった。男子には男子の厳しい競争社会がある事は気付いていなかった。

大人に近づくにつれて、(あたりまえだけど)男に生まれ変われない事も女子ならではうま味がある事(女子大生というだけで奢ってもらえる回数がぐっと増えた)も気付き始めて、学生生活も大学になると面倒くさいグループから離脱しても大した痛手は無く、女である自分を否定する事は無くなっていった。そしていつの間にか、女性が主役である結婚式というライフイベントに心奪われ、一日の大半を女性と関わる事に費やすウエディングプランナーの仕事をした。
プランナーの経験を通して更に興味が深まったのは、ライフスタイルによって変化する女性の価値観だった。本能的に競争して能動的に働くことがインプットされている男性以上に、女性の心理や思考は奥深い。まだぼんやりとしているけれど、女性が輝ける社会が私の理想であるし、その為に貢献できる仕事がこれから出来たらいいなと考えている。

女性である事を否定することから始まり受け入れ魅了されてきた私の読書遍歴を振り返ってみたら、やっぱり女性作家が中心だった。

それまで漫画や絵本や子供向け小説ばかり読んでいた私がエッセイを初めて読み漁ったのがさくらももこさんだった。幼少期にちびまる子ちゃんが大好きだった私は、母が録画してくれたまるちゃんを台詞を覚えられるほど繰り返し見た。「どうせ私なんて」という卑屈な精神や何かの近道を探ろうとする怠け癖や、それでも家族や友達を見捨てることはしない優しさや、いろんな口癖をまるちゃんから影響された。
さくらももこさんの実体験に基づいたまるちゃんのストーリーのより踏み込んだ内容が書いてあるエッセイを読みふけって、文字だけでこんなに感情が揺さぶられるんだと感動した事を覚えている。

大学生の頃は、とにかく色んな世界観を知りたくて本屋に山積みにされている本を文庫を中心に読んでいった。東野圭吾さんや伊坂幸太郎さんの作品が大好きで、特に伊坂さんの独特の思想には思春期の不安定な心境が何度も救われた。
そのころにデビューした湊かなえさんは処女作の「告白」から新刊が出る度に必ず買うほど大好きだし、小川糸さん、有川浩さんの本も今も新しい作品を見掛けるとつい手に取ってしまう。

大学を卒業して、林真理子さんの小説を読んで現実社会によくある問題の切り取り方がすごく面白くて作者にも強烈に興味を持った。林真理子さんの出身地である山梨県に住んでいた親近感もあり、エッセイを何冊か読んだ。自分がブスで不器用なことを嘆いても仕方ない。それでも欲しい物を手に入れる為に努力するのよ!という姿勢がまぶしくて、励まされて、なにくそ精神のエネルギーを沢山もらった。
最近出された本でも、今はSNSで誰でも好きなように意見が出来るけど、ほとんどの人が匿名ですぐに逃げられる。けれど私達作家は実名で顔も出したうえで意見をしているの。だから何か言うとすぐにネットで叩く人や炎上させる人がいるけど、こっちは死ぬ気で言ってるのよ!言うからには根拠がちゃんとあるのよ!というような事を冒頭で言っていて、本屋で立ち読みをしながら身震いがした。その日は荷物が多くて買い逃してしまったけれど、タイトルも控えなかったので見つけられず買っておけばよかったと猛烈に後悔している。やっぱり本も一期一会なんだよなぁ。私にとって林真理子さんは女性が女性として生きるための活力をくれる人だ。姿や名前を見掛けるたびに、心の中で「真理子さんがおっしゃってる!」と最上級の敬意を示している。

ちなみに社会人になってから自己啓発本やビジネス本を意識して読むようにしたけれど、ビジネス本でも特に会社での自分の在り方や仕事の仕方の本になると、著者が女性の方が断然共感できた。このあたりで改めて、男と女は根本的に違うんだと認識するようになった。

最近出会って大好きなのは益田ミリさん。初体験は旅行エッセイだったけど、それからコミックエッセイも見掛けるとすぐに手に取って読んでいる。作家という能動的な仕事をしているのに文章からうかがえる著者自身や登場人物は基本的に内向的で、それが私にとってとても共感出来て読みやすかった。
人からの目線とか気にしちゃうけど、結局は自分が楽しいとか嬉しいとか居心地いいとか、そういうことが大事なんだよな、とミリさんの本を読んで感じた。無理しないで生きる事が大事。でも、無理しない事は何も始めない事や挑戦しない事とはイコールではない。無理しない範囲で、ちょっとずつ始めていけばいいんだ、とミリさんの本の影響で最近考えるようになった。

最近の私は、女性の特権である母になる事を望み、その為にどうしたらいいか、そして自分が母になっても一人の女性として活き活きするにはどうしたらいいのんだろう?という事ばかりを考えている。その時に浮かぶのはこれまで出会った女性だったり、女性が書いた文章だったり、とにかく女性発信のものだった。色々考える内に「そういえば私、女が嫌い!女である自分が嫌だ!とずっと思ってたよなー」とふと思い出した。そして、そう言いながら女性発信の物ばかり求めていたことも。今もだけれど、自分の事って本当に見えていない、わかっていないなと思ったのでした。

2018年3月25日日曜日

季節のかわりめ

気が付いたら3月もあと1週間。うっかり3月の更新回数0になるところだった。何を競っているわけではないけれど、1月に始めたブログが3月に既に更新しなくなるってどうなの?と思うので、頭の中にある事をダラダラ。

【考えるきっかけ】
3ヶ月間毎週楽しみに見ていたドラマが終わってしまった。『アンナチュラル』『BG』『99.9%』『隣の家族は青く見える』を最後まで楽しんだ。(ちなみに『君が心に棲みついた』は登場人物の心の病み具合に引っ張られそうになり、途中で離脱。)『アンナチュラル』はミステリー好きの夫も気に入っていた。見終わった後にお互いに見つけた伏線を言い合うのが面白かった。
それ以上に記憶に残っているのが『隣の家族は青く見える』だった。松山ケンイチと深田恭子という、アラサーの私には10代の頃にいっぱいドキドキさせられた二人が夫婦役で、妊活に励んでいく。テーマが妊活だけだと視聴者が絞られるからなのか、二人が住むコーポラティブハウスに住む他の家族たちも事実婚、お受験ママ、同性愛など背景が込み入っていて、見ている側に色々なテーマを投げかけていた。
このドラマも毎週夫婦で見て、見終わるとドラマで語られていたテーマについて2人で話をした。ネットで目にした関連記事でも話題になっていたが、不妊治療の様子がとてもリアルに細かく映されていた。前半では超混雑する産婦人科の待合室や、その中で他人事のように振る舞う夫達など…ここまで映しちゃうの?という場面がたくさんあった。これは後で知ったことだが、ドラマの医療監修をされた産婦人科の医師が製作陣にドラマではなく教育番組として知識をきちんと伝えてほしい、という思いで不妊治療の一般的な流れや用語などをドラマに組み込んでもらっていたらしい。そのリアルさが、まさに妊活なうな私たち夫婦にはグサグサ刺さったのだった。
印象に残っているシーンは沢山あるのだが、一つ昔の自分を見ているようでいたたまれなくなったシーンが後半の放送回であった。不妊治療に苦戦する深キョン演じる奈々が意を決して職場の人たちに不妊治療をしていることを宣言する。その為に体力を使う仕事のシフトを変わってもらうなど迷惑をかけてしまうがよろしくお願いします、と。上司の男性はもっと早く相談してくれてよかったのに、と快諾するが、若い女性スタッフは微妙な雰囲気。そして次の回で女性スタッフ同士で、不満を漏らす。不妊治療とか妊娠っていうと何でも許される傾向があるよね、と。そばで聞いていた上司にお互い様だからそういう風に言ってはいけないと指摘されて場面は展開するのだが、私は女性スタッフ達がかつての自分と重なって見えていたたまれなくなった。口にはしなくても同じような事を思っていたことが私にもあった。自分が仕事最優先で働いていた頃、同僚の妊娠による産休や結婚による退職などがあると、自分の仕事が余計に増える事が気に入らなかった。不妊治療中の友人と連絡が途絶えがちになり、なぜラインの返信すら出来ないのか理解できず、遊んでくれなくてつまらないと思い、彼女が妊娠してからもこちらから進んで連絡を取らなくなった。今思い出すと、なんて独りよがりで想像力の無い発想だったのだろうと恥ずかしくなる。思っていただけで口にしなかったことだけがせめてもの救いだったと思う。
でも、それくらい私は知らなかったのだ。妊娠・出産がどれだけ奇跡的な事なのか、不妊治療がいかに大変で先が見えない不安の中に置かれるのか、それらはどちらもお金で買えるものではなく、仕事の分量とか友達とのラインのやり取りと比較できることではないという事を。知らないから想像できず、何の悪気もなく思っていた。仕事の負荷が掛かる事への不満に関しては、当時の職場の環境も影響していたと思う。数年前の話だけれど、まだまだ色々な制度が整っておらず、人員に対して業務過多で職場全体が殺伐としていた。その中で私自身が謀殺されていたことも起因していると思う。
だから私はドラマを見て、女性スタッフに自分を重ねて恥ずかしく思う一方で、彼女たちを叱る上司に対して「そうぼやく原因は職場環境にもあるんじゃないの?」と思ってしまった。スタッフが心に余裕がない発言をしてしまう原因を考えるのが管理職の仕事じゃないの?と。
もし当時の私がこのドラマを見ていたら、考え方が変わるきっかけにはなっていたと思う。そして今、ドラマを見て過去の自分を振り返ることができてよかったと思う。いいドラマに出会えてよかった。

【ちょっとずつ春】
3月も後半になり、私が住む本州最北端もちょっとずつ春らしくなってきた。桜や新緑はまだだけど、朝寒さで目を覚ますことはなくなったし、日中に散歩に出掛けられる気候になってきた。歩き好きには暖かくなってきたのはありがたい事なのだけど、私は春が苦手だ。学生時代、春は年度が変わって環境が変わる季節で、変化への対応が苦手な私は人間関係で余計な神経を使い疲れてどんどん内向きになっていった。仲の良かった友人が新しいコミュニティで楽しくやっているかと思うと連絡も出来なくなったり、とにかく春は苦い思い出ばかりがある。さすがに学校を卒業してしばらく経った今はそれほど神経質にならないけど、春特有の新年度とか新しいことを始めよう的な明るく前向き度100%の風潮はやっぱり苦手。そういう話題が落ち着く5月くらいに早くなってほしいなぁと思う今日このごろ。そのころにはきっと内向き度も少し減るだろう。

なんかいろいろ書こうと思ってたのにドラマの話題で白熱したのでエネルギー切れ。もっと書きたい事あったはずなんだけどな。そうなる前にもうちょっと軽いスタンスでこまごまと書けばいいんじゃないかと思うんだけどね。