2020年5月29日金曜日

最後の3週間から見えてきた一番大切なもの


昨年9月から5ヶ月間、コーチングスクールに通いました。

コーチングとは…
クライアント(コーチングをする相手)が目標に向かって行動できるように導くためのコミュニケーションです。私が通ったスクールではコーチングを子育てに活かせるようになろうという目的のママ向けのスクールでしたが、アドラー心理学などコーチングの知識を基礎から学べるスクールでした。(ブログの最後にスクールの紹介もあります。)

コーチングではクライアントの目標や価値観を受け入れる「他者受容」が大事なのですが、そのためにはまずコーチである自分自身が「自分を受け入れる」=「自己受容」を出来るようになる事もとても重要です。スクールの中でも、色々なワークを通じて自分の価値観や認知を知って、自分を整える事に多くの時間を使いました。

そのワークの中で特に私の印象に残っているのが「3週間後の死」というものです。

ちょっと重いテーマなのですが、文字通り「自分がもし3週間後に死ぬとしたら?」を想像して一日単位でやりたい事を書き出していきます。


”3週間、21日、、、結構あるなぁ”

1日目から21日目まで日付が並んだワークシートを見た時に私が初めに感じた事です。

「何の制約もなく思い浮かぶままに書いてみましょう」と言われても、やりたい事がなかなか出てこなかったのです。

行きたいと思っていたエアーズロックには行っておこうかな。それで10日は使えるな…
見られて恥ずかしい写真とか処分しておこう…これで2日くらいつぶれるな…
好きなGLAYのライブにはいったらまた行きたいと思ってしまうからやめておこう…
友達には、、、会ったら泣いちゃいそうだからやめておこう
何か最後に伝えたい事がある子には手紙を書いておこうかな…

じゃあ逆に手紙で伝えたい事がある人は…?
親には先に死んでごめんね、くらい書いておこうかな。
13歳年上の夫には「(私の方が若いから)あなたの介護は任せて!」と言って結婚した手前、お詫びと子供の事とか引き継いでおかないとな。

と、こんな感じで絞り出すように、少しずつやりたい事を書き出していきました。

ちなみに、やりたい事を書き出すことで自分にとって大切な事が何かを知ることがワークの目的なので、実現可能性(例えば航空券が手配できるかなど)は考えません。

この時点でワーク最中の部屋の中には他のスクール生がすすり泣いているような声も聞こえてきました(自分自身と向き合う為に背中を向けて顔を合わせない状況で書いています)。

日常生活を健康的に送っていたら、自分の死なんて普段はなかなか考えません。
まして、3週間後に死ぬとして何をする⁉なんてなかなかハードな作業です。
不安や恐怖、寂しさを感じるのは当然ですし、想像とは言え「死」のへ抵抗感もあると思います。

でも、私はなんとなく淡々とタスクを書き出している感覚でした。
飛ぶ鳥跡を濁さず、ではないのですが
「どうしたら家族の手間(遺品整理など)を最小限に出来るか」
「関わった人たちに気持ちの負担をなるべく小さく出来るか」ばかりを考えていました。


けれど、ペンが止まったのは娘の事を考え始めた時です。

その当時の娘は1歳になったばかり。一人ではまだ何もできません。
もし私が今死んだら、この子の記憶には残らない。母親を知らない子になるんだ…
きっと寂しい思いをさせてしまうと思うから、大きくなってから読めるように手紙を書いておこうかな。

どんな手紙を書こうかな…
夫に読んでもらえるようになる数年後の娘を想像して、、、
1人で読めるようになる十数年後を想像して、、、
恋をしたり生き方に悩む二十数年後を想像して、、、

と具体的に手紙の内容を考え出した時、私の感情が大きく動きました。


”…いやだ!
想像なんかしたくない!私は娘の成長を全部自分の目で見たい!”


”娘が一人で歩いて、言葉を話す姿を自分の目で見たい。
怒ったり悩んだりする姿も見たいし聞きたい。
たとえ反抗的な態度を取られたり、娘の言葉に傷つけられてもいい。
それでもいいから、私は娘の成長を自分の目で見たい!!!”

それまで淡々と作業していた私の心の中からそう強く叫ぶ声が聞こえて、すーっと涙が溢れてきたのです。


すると、3週間後の死を考えることが途端に怖くなりました。


そして、たぶん生まれて初めて強く思いました。
「自分の人生を生きたい」と。


というのも、それまでの私はネガティブな思考で昔から(記憶にあるのは小学生の頃から)「自分の人生なんてどうでもいい」と考えていました。
…と言いつつ見かけや人の評価は気にするし自分も人を評価するし、無茶は嫌いで危ない橋は渡りたくない、、、矛盾していると自分で思うのですが、それでも「どうせ私なんて…」と自分の人生を諦めて投げやりに考えていたのです。

それが、3週間後に死ぬとしたら…と具体的に想像する事で、自分が我が子の成長を見たいと思っている事に気付き、初めて自分の意思で「自分の人生を生きたい」と思ったのです。

それは、我が子を立派に育てたいとか、導きたい、とかではなく、
子供の為なら自分の命をなげうってでもいい、でもなく
我が子という一人の人生に伴走するように一緒に生きていきたい。
親という特等席で娘の成長を見守る一番のサポーターでありたいと思ったのです。

自分の人生最後の3週間でやりたい事を考えるって特別難しい事ではないのですが、このワークで私は自分にとって一番大切な事とどう生きていきたいかに気付く事が出来ました。


大切な事が分かってから、ありたい姿がはっきりと想像できるようになりました。
そして、あらゆる選択に迷いなく、納得感を持って決断できるようになりました。

例えば、私はずっと「働く女性」への憧れが強く、自分のキャリアが出産や育児で止まっている事に対して焦り、キャリアを積み上げていく同世代の女性たちを羨み、時には自分を慰める為にマイナス探しをしていました。でもこれってすごく虚しいんです。

それが「私は生きて子供の成長を見守りたい」と気付いた事で、育児に専念できる環境に感謝して毎日の娘との生活を楽しめるようになりました。

昨今のコロナ禍を穏やかな気持ちで過ごせたのも、この気付きの影響が大きかったです。

では、子供の良き伴走者として成長を特等席で見守るためには、これからどうしていこうか?
これが今の私の課題であり、思い描いている未来です。


子供の成長を隣や一歩後ろという特等席で見守っていきたい。
1歳7か月になった娘とお腹にいる第二子どちらに対しても同じ気持ちです。


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